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東京理科大学発行のフォーラム誌で紹介されました
 
 
フォーラム誌紹介文見出し

 
 
 

「サイエンスショー」という
ジャンルを世界で初めて確立
 
 今回紹介するチャーリー西村さんは、米村でんじろう氏の一番弟子。米村でんじろう氏と言えば、科学教育とエンターテインメントを融合させた「サイエンスショー」というジャンルを日本で初めて確立した立役者。段ボールでできた空気砲、静電気を利用した電気クラゲなどの実験ショーを、テレビで見たことがある人も多いだろう。
 でんじろう氏の公演のマネジメント業務を一手に担ってきた西村さ
ん。最近は、広報や公演のマネジメント、でんじろうブランドの「サイエンスキット」等の開発・販売管理を専門に担当する別会社を立ち上げ社長を務めるほか、西村さん自身も全国各地、ときには海外でサイエンスショーや実験教室を開催している。雑誌や書籍、テレビでも活躍中だ。

 


 
 

教師のひと言で
“勉強ができない人”から“できる人”に
 
 岡山県に生まれ、その後、浜松、大阪、岡山、大阪、東京と、引っ越しの多い子ども時代を過ごした西村さん。勉強は全くしなかったが、中学生のときに、転機が訪れた。
「担任の社会の先生から、『担任の教科くらいいい点とってくれよ〜』と言われ、生まれて初めてテスト勉強というものをしてみたのです」。社会だけでなく、数学、理科もテスト勉強をしてみた。
すると偏差値が一気にアップ。これには先生も両親も驚き、とても喜んでくれたという。親や先生をがっかりさせたくないので、次もがんばるしかない。それからテスト期間だけ勉強するように。
その後、大阪に転校することになった。すると、「都会の学校は勉強が進んでいるかもしれない」と先生方が、放課後補習をしてくれた。
そのおかげか、大阪の中学校では、理科や英語で学年1位、2位という成績に。
「”勉強ができない人”だったのに、大阪では突然”勉強のできる人”になってしまって、戸惑いました(笑)。
振り返ると、今の私があるのは、担任の先生の一言と先生方の温かいサポートのおかげ。教師の何気ないひと言が、子どもをやる気にさせる。また、その逆にやる気を失わせることもある。教師とはとても責任のある仕事。自分にできる仕事ではないと痛感しました」。
浜松で過ごした小学校時代
浜松で過ごした小学校時代。人を笑わせるのが好きだった。

 


 
 

学校、部活、バイトで
充実した高校生活
 
 転校は、「人生がリセットできるから不安よりも前向きな気持ちが強かった」と西村さん。
大阪で2学期間だけすごし、中3の終わりに東京に引っ越すことになった。親の方針で塾には行かなかったから、高校の情報もよく分からないまま受験を迎えることに。結局、制服がなく自由な校風で、「名前が素晴らしいと思った」都立田園調布高校に進学。
高校に入ってからは、勉強よりも軟式テニスの部活動に打ち込むようになった。軟式テニスは中学2年から始め、中学時代には八尾市のベスト8に入ったこともある。高校に入ってからも、図書館でテニスの本を借りて練習法を研究、時間があれば素振りをする毎日。2年生からは部長も務めた。
もう一つ打ち込んだのがアルバイト。一度はアルバイトをしてみたいと思っていた西村さんは、高校進学が決まるとすぐに喫茶店でのアルバイトを始める。興味を持ったことには集中して徹底的に取り組む西村さん。高校生でありながら、大学生のアルバイトや、社員をさしおいて店長の役割を任されるようになっていた。アルバイト仲間とスキーに出かけるなど余暇も満喫。多忙ながら充実した高校時代を過ごしたようだ。
学校、部活、バイトと充実していた高校時代
学校、部活、バイトと充実していた高校時代。バイト仲間とスキーに。右端が西村さん。

 


 
 

がんばらなければ卒業できない
実力主義に魅力を感じ理科大学へ
 
 高校3年生になって、大学進学を意識するようになったが、将来何をしたいというイメージはほとんどなかった。「とりあえず、大学は行こう。いろいろな人に出会って、たくさん友だちを作って楽しく過ごせる大学がいいと思い、もともと興味のあった生命科学系のある総合大学を数校受験しました」。
結果は不合格。どうしたものかと思っていたときに友達から勧められたのが理科大の2部だった。「当初、理系の大学は女子が少ないので、進学は考えてもいませんでした(笑)。でも勧められたので調べてみると、東京物理学校以来の伝統があり、実力主義で、なかなか卒業ができない厳しい大学だと聞いて、これこそが求める大学だ!と思いました」。
そして東京理科大学理学部2部化学科に入学。合格が決まるとすぐに軟式テニス部にも入部。働いて自分で学費を払っている女性の先輩に触発され、昼間は学生課で見つけた、東京大学医学部の研究助手の仕事に励んだ。最高の環境で、世界の最先端の研究に関わっているという充実感もあった。
大学、部活、仕事と、非の打ちどころがない充実した毎日を送る西村さんだったが、ある日、大きな問題に直面することになる。恋愛で、親友との三角関係に苦しんだ末、自分の愛した大学、部活、仕事のすべてを放棄してしまったのだ。長らくの空白期間ののち、「理科大校舎の最上階の窓から、新宿の高層ビル群を眺め、『あの中にも悲しんだり泣いている人もいるんだよな……』、そのうち視点は宇宙にまで飛び、『地球の中のちっぽけな日本、東京、さらにちっぽけな飯田橋の理科大にいる自分の悩みなんて取るに足らないものではないか』と気づいたのです」。
大学時代
大学時代。バイオリンを学び、コンサートにも数多く出かけた経験がサイエンスショーの演出に役立った。

 


 
 

失恋、現実逃避の後、
でんじろう氏に出会う
 
 長いトンネルから抜け、まずは部活を再開。次は、職探しだ。再び訪れた学生課で、「科学技術館」の、米村でんじろう先生の助手の求人を見つけた。
「でんじろうってどんなおじいさんだろうと思ったら、若い人で驚いた(笑)」と西村さん。
最初は、「ついこの間までは最先端の研究期間で働いていたのに、こんな子ども向けの遊びみたいなことの助手をするなんて」と思ったという。ところが徐々にそんな気持ちは吹き飛んでいった。「ブーメランって、どうしてもどってくるか知っている?」とでんじろう氏に尋ねられ、答えられずにいると、さらさらと数式を書き、ブーメランが返ってくる理由を教えてくれた。「え〜!そんなこと計算できるんだ!と。これが最初の驚きでした」。
物理や数学の数式は問題を解くためではなく、生活に活かすためものだと気づいた瞬間。
そして、生きた数学・物理を初めて見た衝撃だった。
次に見せられたのが、木炭電池。塩水で湿らせたキッチンペーパーを木炭に巻き、
さらにアルミ箔を巻いてモータにつなぐ。するとモーターが動きはじめた。では豆電球も点くと思ったがこれは点かない。電圧だけでなく電流も関係しているんだ」。知らなかった。「木炭が電池になるなんて!と、顎が外れるくらい驚きました。大学では化学を学び、電池の難しい原理も勉強した。
難しい計算をして自分は頭がいいと思っていたけれど、身近な物だけで作った木炭電池の仕組みを知らない、豆電球の点く仕組みさえ知らない、実は何も知らないことに気がついた」。難しいことばかりやっていると、簡単な事象をばかにしがちだが、分かっている気になってはいけない。そんな人が研究者になってもきっといい仕事はできない、そう思った西村さんは「この驚きを、多くの子どもたちに伝えたい、たくさん経験させてあげたい」と強く思ったという。サイエンスエンターテイナー、チャーリー西村のキャリアはここから始まったと言っていいだろう。
科学技術館での助手だけでなく、でんじろう氏とともに、全国で開催されるワークショップなどの理科普及活動にも同行した。
さらに学生でありながら、スケジュール管理から金額交渉、機材準備、予備実験、舞台演出までを担い、いつしかでんじろう氏のマネージャーとして欠くことのできない存在に。
公演に行く先々で、参加者たちから喜んでもらえることが嬉しくて、どんどん仕事のウエートが高くなっていった。結果的に、部活も土日は休みがちになり、大学も単位が足りず、4年で中退。その後、またもや恋愛問題で大きな壁にぶつかったのをきっかけに再入学。紆余曲折のうえ、結局9年間かけて大学を卒業することになる。
海外でのサイエンスショー
海外でのサイエンスショー。2000年頃から海外公演も増えていった。右端が西村さん。中央がでんじろう氏。

 


 
 

海外も注目する
新スタイルのサイエンスショー
 
 西村さんには、「大学時代から成し遂げるべき3つの目標」があった。1つは楽器をマスターすること、2つ目は馬に乗れるようになること、3つ目は絵を描けるようになること。理由は、「世界で活動するには3つとも必要なたしなみだろう」と考えたから。
まずは時間のかかりそうな楽器から。バイオリンを始め、暇さえあればクラシックコンサートをはしご。海外に出かけてコンサートやエンターテイメントショーも鑑賞した。「一流のステージを数多く見た経験は、サイエンスショーにも役立った」と西村さん。
西村さんが演出するサイエンスショーは、大型のホールで1,000人単位の聴衆を前に行う、照明、映像、音響を駆使した大がかりなエンターテインメント。これは世界にも類を見ない、でんじろう氏と西村さんらが初めて確立した新しいジャンルで、海外からも注目を集めている。2000年1月には台湾の台北・台中・高雄で行われた「国際幼児教育学術研修会」に初の海外客員講師として招待され、各地で公演を行った。その後も、アメリカ・中国・台湾・インド・サウジアラビア・UAEで100回以上の公演を行っている。
サイエンスショー
サイエンスショー。「本物を体験してほしい」との思いから、音楽はすべて生演奏。

 


 
 

科学ファンを増やし、
日本の発展に貢献を
 
 「子どもたちに科学の面白さや不思議さ、驚きを伝えたい」と西村さん。ショーや番組出演だけでなく科学玩具や書籍なども企画・開発。幼児対象のショーにも力を入れ、1年半で約100回の幼児向け公演を行っている。
理科大の部活にOBとして訪ねると、「子どものときに、でんじろうのサイエンスショーを見て理科に興味を持った」という学生にしばしば出会うという。「そんなときは、やっていてよかったと思います。少しでも多くの科学のファンを育てることで間接的に日本の科学技術の発展に貢献できれば嬉しい」。
現在、3児の父でもある西村さん。「自分のプロデュースするサイエンスショーや科学玩具を通して、親子の会話や笑顔が増え、豊かな人間の育成、明るい社会づくりにも貢献できればと思います。それが私の夢ですね」。
(石井栄子:ライター)
木炭電池の実験を披露してくれる西村さん
木炭電池の実験を披露してくれる西村さん。でんじろう氏との運命的な出会いとなった。